いまを生きる、「岡本太郎」のあしあと。
今回は、芸術の巨匠「岡本太郎」の生き方について私なりの解釈で書いてみます。
岡本太郎を知った、20歳の衝撃と衝動。
私は20歳くらいの頃に岡本太郎さんのことを知りました。
ある日、いつものように書店に行った時に、岡本太郎特集が組まれていて、太郎さんに関する書籍がたくさん並んでいました。
表紙に太郎さんの写真が写っているものや、太郎さんの作品が掲載されたもの。
第一印象は「この人、何者なんだ!こんな人いたんだ!」と思いながら、何か惹きつけられるものがありました。
「格好良さと気持ち悪さ」、両方を持っている人だな、という印象です。
音楽に例えると、当時の私には間違いなく「特大に激しいパンクロック」でした。
何冊か手に取ってパラパラと読んでみました。その瞬間から私の中に、人生を本気で生き抜いた「岡本太郎」の言葉が入り、その後も残り続けることになります。
自分のこれからの生き方を模索していた20歳の私には「これだ!」という衝撃が走りました。
それと同時に「何かやりたい!」という衝動が起こりました。
「職業は人間」という真っ当な生き方。
たとえば、岡本太郎さんの名言のひとつに「職業は人間」という言葉があります。
芸術家として絵画作品を数多く残しつつも、芸術にとどまらず、様々な活動を行なった太郎さん。
世の中には名言や格言と呼ばれる似たり寄ったりな言葉が数えきれず存在します。ある程度の年数を生きているとどこかで聞いたことあるな、と思う言葉がたくさんあります。
その中でも、圧倒的な存在感を持つ岡本太郎さんの言葉の力はどこから来るのでしょう。
太郎さんの言葉は、どこを切り取っても太郎さんの言葉なんです。
借り物の言葉でなく、自身の身体から染み出た体感力のある言葉だからこその力だと思います。
たとえば「職業は人間」、パリで哲学を学んだ太郎さんにとっては、行なってきたことは「活動」というより「生き方」であって、一人の人間として真っ当な生き方をしたかったのでしょう。
身近にあった太郎さんのあしあと。
そんな岡本太郎さんのあしあとが、実はわたしの育った山形県にたくさんあることを大人になってから知りました。
冬になると、スキーを楽しむために山のほうへ訪れていたと聞きました。
その近くの山菜料理のお店にもよく訪れていて、その際に書かれた書の文字がいまでも残っています。
また、私の育った街の役所庁舎内の中央部には、なんと岡本太郎さんがデザインした大きな照明が飾られています。
当時、建築家の黒川紀章さんが設計した役所庁舎にコラボレーションとして参加したものと思われます。
こんな偉大な方々の残した仕事が、こんな田舎街にあったなんて学生のころはもちろん、20代半ばまで知りませんでした。学生時代は、自分の住む田舎には「そんなスゴイものは、ここには無い」と思っていましたから。
大人になって初めて気づく、ふるさとの魅力はたくさんあります。
いまの子どもたちが、将来大人になったときに誇りに思えるようなことを残せるようなことを私もやっていかなければ。
私がそう思っていること自体が「太郎さんのあしあと」ということでしょうかね。
(文・カンノオサム)
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